新規事業開発/お手本になるDXの成功事例
管理人は前職のコンサル会社で何十回と
Listen and be open, but don’t let anybody tell you who you are. This was just one of the many stories telling us all the ways we were going to fail.
聞き耳を立てよ、オープンであれ。しかし、自分が誰であるかを誰にも規定させるな。
このBARRON’Sの記事は、Amazon.com はこんな失敗の末路をたどるであろうとした無数のストーリーのうちの、たった一つにすぎない。
https://twitter.com/JeffBezos/status/1447403828505088011/photo/1
この企業は、実に1996年から2001までの5年間、
に、Fortune 誌によって選ばれ続けます。
Forbes は、
と、手放しで称賛する記事を、2002年に載せます。
現在の経産省が
とかいうすこぶるまぬけ壮大な企画を、我々の血税を無駄につぎこんで起ち上げたように、
当時のアメリカ政府が推進していた、デジタル/ネットを使った
というイニシアティブの筆頭と、同企業はたたえられます。
その企業の正体こそ、むろん、
です。
失敗に終わった事業拡大:なぜ Enronは破綻したのか?
というわけで、
パクりたいのなら、Enronをパクったら良いのではないでしょうか?
はい、この記事終わり。
…………
と終わらせてもいいのですが、読者がさすがに離れてしまうので、
- EnronのDXの、どこがここまでイノベーティブだったのか?
- そこまで成功したEnronがなぜ粉飾決算せざるを得ないほどの奈落の底まで滑り落ちたのか?
を分析していきたいと思います。
EnronのDXの、どこがここまでイノベーティブだったのか?
1999年に世に出た EOL/ Enron Onlineは、まさに究極のDXでした。
EOLが登場するまでは、エネルギー、例えばガスを調達しようと思ったら、
業者たちは、
Enronは、最初は中堅どころだったとはいえ、
自身ガス・電気などのエネルギーをトレードする業者でしたから、
これがいかに非効率な方法か、骨身にしみて知っていました。
すなわち、Yコンビネーターの事業アイデアの判断基準の一つである、
を、このEOLというサービスは、地で行っていたわけです。
EOLの企画者は、せっかくガスという瞬時に取引できる商材を扱っていながら、株式市場のように、
という市場全体の情報が与えられていないのが問題であると洞察します。
そこで、当時はまだ存在したAOL/アメリカオンラインをもじって、
EOLという、ガスを瞬時にオンラインで取引できる画期的なサービスを世に出します。
このEOLの使用手数料、実は、完全無料でした。
Enronの幹部は、
では、いかにしてEnronは収益を上げていたのでしょうか?
買い手は、EOL上で見つけた取引相手から買っているように一見見えていて、
事実上、いつもEnronから買っていました。
売り手にしても、事実上、いつもEnronに売っていました。
すなわち、EOLは真に自由な取引ができるNY取引市場などとはかけ離れた、Enron独占のマーケットでした。
なぜこんなことが起こるのか?
EOLはオンラインでガスの取引ができる、当時、事実上、唯一のマーケットでした。
ライバルの Dynergy 社がEOLの数か月後に同様のオンラインマーケットプレイスを起ち上げますが、
そのポスターの中で、Dynergy のトレーダーは、EOLを使っているくらいでした。
Yahoo!がGoogleの検索エンジンを導入したのと同じことが起こっていました。
ここには、著しい
がありました。
Enronだけが、
という情報をすべて握っていましたから、
最強のバイイングパワーを誇るEnronにしかできない価格でガスを買い占めるのは容易です。
一度買い占めたら、今度は、価格を釣り上げて売り、そのお金でまた買い占めを行います。
理論的には、無限に儲け続けることができる
です。
特に小口の取引では、Enronの自由にならない取引はありませんでした。
いわば、全員の手札を知っている胴元がポーカーに参加しているようなもので、
Enronは価格を自由にコントロール出来ましたし、ライバルの戦術もシースルーでした。
実際、あるEnronの社員は、
と人事評価で高く評価されていたような有様です。
ここまで読んで、いくら優れたDXだからといって、
こんなアコギなビジネスが参考になるかと思われたあなた、ちょっと考えてみて下さい。
Enron以外のトレーダ―すべてに、EOLを使わなければならない義務はなかったのです。
むしろ、上記のような
ライバル企業たちが使い続けざるをえなかった、事実上一択のEOLは、
間違いなく出色のイノベーションでした。
EOLは自他共に認める革命であり、Enronはうなぎ登りの時価総額を享受します。
出典:
Enronはなぜ粉飾決算せざるを得ないほどの奈落の底まで滑り落ちたのか?
重たく眠たいエネルギー事業に新風の金融工学を持ち込んだとたたえられたEnronは、
あくなき野望をもって、今度は新興市場に乗り出します。
自らのEOLを底辺で支えている、ブロードバンドインフラ市場です。
当時は光ファイバー網が急速に広がりつつあった時期で、ここに打って出ようとした
Enronの判断は、エマージング市場の大きさという視点では、間違いではなかったでしょう。
Enronは、二匹目のドジョウを狙って、光ファイバー網の売り買いを行うオンライン市場を起ち上げます。
しかし、光ファイバー網のオンラインマーケットプレイスでは、
どうしたことか、取引はサッパリ行われませんでした。
MCI WorldCom や Verizon Communications といった通信業界の大御所は、一向に参戦してきません。
スキリング社長が400億ドルをEnronの時価総額に加えると宣言したこのビジネスは、
たったの1,600万ドルの価値しか生み出しませんでした。
株主から指弾されることを懼れたEnronは、
子会社を新しく作り、グループ会社同士の取引で会計を膨らませて見せる粉飾決算に手を染めます。
どうやら Enron はこの市場に参入して初めて気が付いたようなのですが、
当時の光ファイバー網は、ガスや電気のように、
需給の関係性から一瞬で価格が決まるようなプロダクトではなかったのです。
なぜなら、同時の光ファイバー網には、地中に埋まっていることは間違いないが、
ファイバーを終端するE/O変換器にもO/E変換器にも接続されておらず、そのままでは通信ができない、
だったからです。
簡単に言ってしまうと、レーザーを通すための土管はあるものの、
肝心のレーザー発振器につながっていないのです。
ハードとして完成品ではあってもそのままでは役に立たないものでは、
そのときは無価値ですから、売るのも買うのも、当然時間がかかります。
すなわち、Enronは、Product/Market Fitの4条件のうち、
が全く欠けた事業に乗り出してしまったのです。
これはなぜ起こったのでしょうか?
原因は至極単純で、この記事で論じた
を欠いていたからです。
Enronは、もともと、ガスや電気といったエネルギーの取引のプロ集団でした。
しかし、通信に関しては、おそらく、全くの素人でした。
私自身はもともと、出来栄えはすこぶる悪かったですが、通信畑のエンジニアで、
日本で光ファイバー網がようやく伸長しつつあり、
と鳴るモデムをほとんどの日本人がまだ使っていた時代に、まだ現役でした。
ですから、この話を知ったときはEnronらしからぬあまりの間抜けぶりに、
と、殆ど呆然としました。
Enronは、調子に乗ってしまったということになるでしょう。
出典:The Washington Post: Broadband Strategy Got Enron in Trouble
ここからEnronは急転直下赤字が膨れ上がり、時価総額を保つため粉飾に粉飾を重ね、
破綻に向けてまっしぐらに落ちていきます。
事業開発とDXの関係性:DXに成功し、事業に失敗した Enron
結果、Enronは、
Product/Market Fitの条件 | EOL | 光ファイバー網マーケットプレイス |
Desirability/市場性 | ◎ | 〇 |
Viability/事業継続性 | ◎ | × |
Feasibility/実現性 | 〇 | ◎ |
Adaptability/時代への適合性 | 〇 | × |
しかし、事業継続性はその場で一瞬で取引ができないから×ですし、Adaptabilityもしかりです。
ここで多くのイントラプレナーは、実はEnronをあまり笑えないはずなのです。
なぜなら、事業を起こすとき、フィージビリティスタディをやらない会社は珍しいが、
とか
とか、FSよりもはるかに大事な調査を行おうとしない事業者はごまんとあるからです。
(ここでいわゆる市場調査はデザイヤビリティスタディには入りません。なぜか、という話は別途します。)
ここに書いた通り、DXのためのDX推進は愚の骨頂です。
デジタルを活用しようがしまいが、事業に成功すること、顧客価値を最大化すること、です。