新規事業の起点となる用途探索や新しいテーマ選定。多くの技術者が、その最初の一歩で立ち止まってしまうという。「自分が良い仮説を思いつかないと、顧客に会いに行けない」という思い込みである。
三菱ケミカル社でインキュベーショングループ長を務められている椋田貴寛氏は、メンバーの最大の壁が「最初のアイディエーション」にあると語る。
同社の新規事業チームは、StartupScaleup.jpが提供する「プロダクト再発見トレーニング」を受講し、開発に着手する前、稟議を通す前の段階で、顧客から学ぶという動き方をチームの中に持ち込み始めている。椋田氏に受講前後でメンバーに見え始めた変化を率直に語っていただいた。
技術者が抱える「ゼロイチ」の壁
三菱ケミカルの新規事業プロジェクトは、いきなり製品開発から入るわけではない。まず市場のトレンドや、深そうな課題のある領域を探っていくところから始まる。そのうえでソリューションの仮説を立て、R&Dを伴わずに「モノなしの状態」で課題と解決策の妥当性を探る。そこを抜けて初めて、実際に作れるかというフィージビリティの検証に進む、という順序で動いている。
この順序自体について、椋田氏は受講前から考え方を持っていた。しかし、現場メンバーがそのプロセスを動かす上で最も負担を感じているフェーズが、明確にあるという。
「メンバー自身が感じているのは、どこをどう攻めるべきかみたいな、いちばん最初のアイディエーション、企画と言ったらいいんですかね、そこが、普段からやっているわけではないので、馴れていない」(椋田氏)
背景には、技術者というキャリアの構造的な事情がある、と椋田氏は語る。
「技術者だった時代は、これを作ってくれないかと言って持ってこられたものを作るのが仕事だった。ゼロから自分が生み出すという経験自体を、そんなにやっていない状況です」(椋田氏)
さらに、すでに走っている既存テーマを手伝う業務に時間が取られると、苦手なゼロイチのフェーズはいつまでも後回しになる。結果として、苦手なまま残り続けてしまう。アイディエーション作業に、「まずは完成度の高いアイデアをひねり出さないと」というプレッシャーすら感じてしまうようになる。
「得意な人から見れば、いくらでもできるじゃないか、簡単じゃないか、となるんですけれど、そうはならないんですよ」と椋田氏は言う。これは技術者の能力の問題ではなく、これまでの経験の積み方に由来する話だと解釈できる。
実際、トレーニングに参加いただいたメンバーは、椋田氏自慢の「きわめて優秀なメンバーばかり」という状況であり、講師側も、非常に柔軟で思考スピードが速いのにいつも舌を巻いていた。

「ゼロから自分が生み出すという経験自体を、そんなにやっていない状況です」と語る椋田氏
「良い仮説がないと顧客に会いに行けない」という前提を覆す
新規事業の現場でしばしば見られる前提がある。「自分が素晴らしい企画や仮説を思いつかないと、顧客にインタビューに行ってはいけない」という思い込みである。椋田氏のチームでも、この前提は絶対的なものとして存在していたという。
プロダクト再発見トレーニングを受講したあと、椋田氏がメンバーの変化として最も大きいと感じたのは、まさにこの前提自体が外せる、という気づきだった。
「今までは、自分が素晴らしい仮説を、企画を思いつかないと、顧客にインタビューに行けないというところが、絶対的にあって。そこを、無くしていいんだっていうのが、一番大きなマインドチェンジじゃないですかね」(椋田氏)
受講後に実施されたアンケートにも、この変化を裏付ける記述があった。受講メンバーの一人は、その感覚を「肩の荷が下りた」と表現したという(アンケート結果より)。
これは、社内の意思決定プロセスや承認手続きが変わったということではない。あくまで、現場のメンバー一人ひとりが、顧客に会いに行くという行動の手前に置いていた心理的なハードルの一つを、外せる選択肢として受け止め始めた、という意味での変化である。
講師である富岡はトレーニングの中で「手ぶらで聞き込みにいけばポンポンアイデアはわいてくる」と主張していたので、このフィードバックは非常にうれしいものであった。
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稟議の前に、顧客と会いに行くという新しい選択肢
技術系の組織で新規事業を進める際、しばしば現れる現実的なジレンマがある。顧客に聞きに行くには予算がいる。その予算を取るには稟議を通さなければならない。しかし稟議を通すためには、ある程度確からしいエビデンスが求められる。エビデンスを得るには顧客に聞きに行く必要があるが、聞きに行くには予算がいる ―― この循環の中で議論が止まることがある。
椋田氏自身も、かつてこの循環の手前で、メンバーの提案を差し戻していた一人だったという。
「僕はね、聞き込みをやっていない、(稟議を通す前でもいいから)聞いてこいよ、と言っていたんですけれど、メンバー側からすれば、聞きに行くには予算をつけてもらって先にいろいろちょっと試してみないには聞きに行けない、と。これでぐるぐる回っていた」(椋田氏)
プロダクト再発見トレーニングを受講した後、メンバーから椋田氏に届いた声の一つに、次のような感想があったという。これは椋田氏自身の主張ではなく、メンバーが残したフィードバックを椋田氏が紹介したものである。
「稟議を通さないとバリデーションはできないという思い込みを、逆転させられたのは結構大きい、という声があったんですよ」
これにより社内承認プロセスそのものが変わったという話ではない。社内承認を得る前であっても、確固たる事業アイデアがない場合でも、現場のメンバーが自ら、顧客の状況を聞き込みにいくという「オフィスを出る」動き方を、選択肢の一つとして持った、ということである。

ジョブ理論とOSTを、一つの型として使う
プロダクト再発見トレーニングでは、ジョブ理論(Jobs to Be Done)に基づいたインタビュー手法と、それに基づいてOST(Opportunity Solution Tree、オポチュニティ・ソリューション・ツリー)を埋めていく方法論を扱う。
ジョブ(JTBD)インタビュー、OSTの両者ともに、日本ではほとんど知られていない、しかし現場で極めて役に立つメソッドであり、フレームワークだ。
(椋田氏はトレーニングの最初のセッションで、「ほかのコンサルと違って、富岡は日本語に翻訳されていない概念の使い方を教えてくれる」と持ち上げてくださった。)
椋田氏は受講前にジョブ理論の書籍も読み込んでいたが、本だけで読んだときには、ある違和感が残っていたという。
「ジョブ理論を本で読んだんですけれど、なんていうんですかね、ジョブ理論ってなんか結果論に見えるんですよ。マックシェイクがどうして売れているかをずっと調べていったらそうだった、結果ですよね、と。じゃあどうやってその結果を元に次のものを生み出せばいいのかというところは、書籍からは得られたものは少なかった」(椋田氏)
OSTと組み合わせて捉え直したときに、椋田氏の中でこの違和感は別の見え方に変わった。
「OSTというフレームワークが、その(ジョブ理論をどう現場で応用して結果を出すかの)答なんですよ。だからワンセットでいいなと。そこがワンセットになったので、これでようやくインタビューに行って、アイデアが取れるんじゃないか、というふうにメンバーは言っていましたね」(椋田氏)
受講後のアンケートにも、ジョブ理論を体系化して理解するモデルを得られた、という主旨の記述があった(アンケート結果より)。ジョブ理論は、単独で机上で学ぶと使い方が見えにくかったが、OSTという「次の行動に繋げる側」の枠組みと組み合わせることで、観察と次の打ち手の間が繋がる ―― そういう実感が、受講メンバーの中に生まれ始めたと言える。
また、OSTは、椋田氏にとって、社内で事業開発の進捗、その活動ぶりを周囲にビジュアルに示せる使い勝手のよいツールだと映ったようである。他のメンバーの方々も、効果的だと思われたようで、OSTを描くセッション中に、「このOSTを、日本全体の製造業が学んで使いこなしたら、当社が差別化できなくなってしまう、どうしたらよいか?」と杞憂なさる質問まで飛び出した。
インタビューの最後に、椋田氏から「メンバーが実務を進めて埋めたOSTをレビューしてほしい」という要望も承った。
仮説を押し付けない ―インタビュー演習からの学び
本トレーニングでは、講師を疑似顧客に見立てて、顧客インタビューの実践演習を行うセッションがある。牛丼屋を題材にしたその実践演習で印象的なやり取りがあった。事前にしっかり準備をしてきた、ある参加メンバーが、相手の話が盛り上がってきた瞬間に、自分の初期仮説に話を戻そうとしてしまった ―― という場面である。
椋田氏は、これを「やってしまう気持ちはわかる」と振り返る。
「あれ、やっちゃうんですよね。どうしてもこれを聞かずには帰れない、みたいな感じで(笑)」(椋田氏)
トレーニングの中で、富岡は「会話が盛り上がっているということは、そのトピックが顧客の関心の中心にある証拠で、絶好の深掘りのチャンス」という考え方を示した。
「盛り上がっているイコール深掘るチャンスですよ、という話をされていたじゃないですか。あれがすごく、腑に落ちたみたいで」(椋田氏)
準備が周到なメンバーほど、事前情報からシナリオを綿密に組み立てておく傾向がある。しかしその設計が裏目に出ることもある。相手が想定していた論点を簡単に「それは解決しました」と返したとき、用意していた質問が一気に切れてしまい、その先に進めなくなるのである。
椋田氏は、「普段、自分がインタビューしている様子を外部から客観的に評価してもらう場面などほとんどない。良い学びになった」とご評価くださった。技術者の方々はもともと優秀なので、気づきさえ得られれば、方向転換は難しいことではないはずだ。

天才のひらめきから、型に沿って進める動き方へ
受講メンバーの一人が、トレーニング後のAIインタビューの回答として、本トレーニングの意味を次のように表現してくださった。
「今回のトレーニングの目的は、非天才でも成果を出す方法なんだ」
この受講者の言葉の背景には、新規事業を成功させられるのは天才肌の限られた人だけだ、という思い込みがあったのではないか、と椋田氏は受け止めている。
「新規事業って、すごく確率が低いアイテムなので、新規事業を成功させる人は天才肌というか、選ばれし人が成功させているんだと思っていたんだと思うんです」(椋田氏)
参加したメンバーの動き方の前提が変わり始めたこと、開発や稟議の前に顧客から学びに行くという選択肢が現場の選び得る一つの動き方として認識されたこと、そして方法論を一つの型として捉え直す手応えがでてきたこと。
椋田氏はこの先について、社内に広げていく構想を語った。
「人数が限られると、組織でいう上位の層に入る人や、その次の層の上位に入る人に声をかけがちなんですけれど、その人たちを引き上げて、エバンジェリストにして、より広い層を作ってほしいと思っています」
受講した参加メンバーをエバンジェリストとして、社内のより広い層に同じ動き方を伝えていく ―― これがこの先の道のりとして椋田氏が描いてくださっている景色である。
【取材後記】
本記事は、StartupScaleup.jpが提供する「プロダクト再発見トレーニング」を受講いただいた、三菱ケミカル フィルムズ&パフォーマンスマテリアルズビジネスグループ フード・ヘルスケア事業部でインキュベーショングループ長を務められている椋田貴寛氏への取材を元に構成しました。
非常に優秀なメンバーをそろえて弊社のトレーニングをご受講くださった上、取材を受けてくださった椋田様に、この場を借りて御礼申し上げます。
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イントラプレナーとして、合計8つの新規事業開発を経験。1,300回に及ぶ顧客インタビューの実施経験を持つ。生成AIによるアイディエーションの世界初のサービスである、「AIディアソン」を、2023年の1月に上梓。それ以降も次々とAIサービスをローンチしている。
翻訳書の発行される前の版の、The Four Steps to the Epiphany (邦訳「アントラプレナーの教科書」、リーンスタートアップの下敷きになった本)を所持するほど、古くから事業開発の方法論を考究。最近はアメリカで最新とされるプロダクト開発のメソッドである、継続的発見(Continous Discovery)手法を取り入れ、エフェクチュエーションと組み合わせて事業開発に応用。
