いや、ってさ、言うだけなら簡単ですよ、あなた。私だけですかね、「そんなことは百も承知だ、こっちが知りたいのは、『誰でも、どんな時でも、潜在ニーズとやらを探り出せる方法』なんだよ!」といいながら、相手の襟髪つかんでガタガタ揺さぶってやりたくなるのは?
大丈夫です、こう言い返してちゃんとした答を用意できる人物は、マーケティング理論に詳しい経営学者にも、いつもクライアントに偉そうな口きいているコンサルファームのコンサルの中にも、一人もいませんから。潜在ニーズを再現可能かつ汎用的な方法で探り出す方法がないのはなぜでしょうか?それは、
です。
事業開発のトラブルのもと:コロコロ変化するニーズ
サツキのミッション:お父さんに、七国山病院に電話連絡してもらう
昨日はかぜっぴきの娘に付き合って「となりのトトロ」をもう一度見てしまいました。子育てを経験した後だと、
と、そんなところに変に感心してしまう作品です。
シーン ver 0. 特定の世帯にしか、固定電話がない
さて、サツキのところにカン太が
を持ってきます。電報、知ってますか?いや、おじさんの私も、さすがに葬儀の時ぐらいしか目撃したことないです。舞台が昭和30年代ですからね。七国山病院が、入院中のお母さんのことで話したいから、電話をかけてくれ、というメッセージです。
このとき観客は、
とわかります。サツキは知り合いのうちに駆け込んで、いま大学で勤務している、お父さんに電話します。
サツキのミッション遂行の利便性を高めていってあげよう
時代を進めて、段階的に、文明の利器で、サツキの遂行するミッションを簡単にしていきましょう。
シーン ver 1. 全世帯に(引越ししたばかりのサツキのうちにも)固定電話がある
まず、
これはもう、顕在ニーズといっていいでしょう。そうすると、シーンはこう書き変わります。カン太がサツキのところへ来て、
そして、サツキは自宅へ飛んで帰り、またかかってくるのを待つ。
シーン ver 2. 小学校高学年でもポケベルを持っている
え?
を知らない?まあ、若い人はわからないかあ。。。携帯電話網が今みたいに全国展開していなくて、馬鹿みたいに高価だったころ、短いメッセージだけを短く伝える機器が、中高生の間で流行ったのです。いまでも、ケータイを持たせられない小学生向けの安全ポケベルみたいの、あります。
ここから「潜在ニーズ」とやらの出番です。サツキがこの種の機器の必要性を自分から明示的に知覚することがほぼ不可能だから。シーンはこう書き変わります。
サツキ「アリガトウ」
そして、サツキは自宅へ飛んで帰り、留守電をチェックする。
シーン ver 3. 小学校高学年でPHSを持っている
え?なんですと、PHS(ピッチ)を知らないですとー。PHSとは、Personal Handyphone Systemといって、固定電話への着信を家のどの部屋にいても受けられるシステムを戸外まで拡張したケータイがあったんですよ。というか今でも、医療従事者など、「ケータイを使ってはまずい場所」で働く人たちがインドアで使用していますね。
ポケベルもっている小学生にとっては、これは顕在ニーズでしょう。シーンはこう書き変わります。
サツキ「ありがとう!」
そしてサツキは、家へ飛んで帰り、留守電をチェックする。
シーン ver 4. 小学校高学年でガラケーを持っている
ここからは機器の解説の必要がないと思いたいですね……「東京リベンジャーズ」の中に、昔の自分に主人公が戻って、ガラケーを懐かしがるシーンが出てくるし。
これは潜在か顕在かビミョーなところですが、まあ、ニーズであることは間違いない。
サツキ「ありがとう!」
というかここまでくると、たぶん、このシーン自体が成立しないですね。なぜなら、七国山病院は直接草壁タツオさんのケータイに電話すればよくなっているから。そして、これも 「東京リベンジャーズ」 のように、
ニーズは変化するが、ジョブは全く変化しない
シーン | ニーズ | ニーズの 種類 |
ジョブ/Her job to be done |
1 | 自宅にいながら、誰かと話せる | 顕在 | お父さんに七国山病院の人と話してもらう |
2 | どこにいても、電話がかかってきたら、それと判る | 潜在 | お父さんに七国山病院の人と話してもらう |
3 | どこにいても、誰かと話せる | 顕在 | お父さんに七国山病院の人と話してもらう |
4 | (どこにいても、誰かとメッセージングできる) | 潜在/顕在 | (お父さんに七国山病院の人と話してもらう) |
上の表を見て下さい。
とやらは、ころころ変化します。
しかし、ジョブは、最初から最後まで、一貫して全く変化しません。これが将来、「頭蓋に何か機器をつけて思念でコミュニケーションする」という時代が来たとしても、
カン太とわたし(サツキ)がいっさい介在しなくても、用事はすむ
ということ自体は、全く変わりません。
これは、以下を意味します。