日本の30年は失われてなどいない

ビジョン/パーパス

日本の30年は失われてなどいない

この度、株式会社StartupScaleup.jpは、「多摩地域を代表する企業100選」に選出いただくこととなりました。

全国の地域で10年後、20年後の未来を創り、地方の顔となる存在を目指す「地域を代表する企業100選」という企画は、地方創生メディア「Made In Local」を運営されている株式会社IOBI様によって運営されています。

多摩地域では、弊社の他に株式会社すかいらーくホールディングス様や、個性的な地場産業に取り組まれている企業が名前を連ねています。

地域を代表する企業100選は「まだ知られていないけれど、世界に誇れる力を持った地方企業を掘り起こしたい」という想いから生まれた企業を取り上げ、地域に根差した企業を取材し、技術やストーリーを「見える化」して世の中に伝えていく。

単なるPR記事ではなく、経営者の人となりや企業が持つ独自の強みを描き出し、読んだ人がこんな会社が身近にあったんだと誇りを持てるような企画になっています。

今回、選出いただいたことを機に、私にパーパスとは何か?について深く考えさせ、私の元々のスタンス

パーパスって、実は大して重要じゃないんじゃ?

という斜に構えた態度をひっくり返させました。

 

世間の常識を覆す衝撃発言:「パーパスは戦略に不要」

私は何故、内心でパーパスを軽視していたのでしょうか。

戦略論の世界的権威リチャード・ルメルトがその著書『The Crux(戦略の要諦)』で放った爆弾発言

ミッション/パーパスづくりは(戦略策定とその実行上)労力の無駄

が根拠の一つになっています。

なぜルメルトはこんな「逆張り」をするのでしょうか。

 

答は明快です。パーパスやミッション・ステートメントは「戦略ではない」からです。

ルメルトによると、戦略とは

The crux (巨大な割れ目)= 解決可能で、重要な核心一点、つまりは、南極の氷から堅牢な巨石にいたるまで必ずあるといわれる、一発でそれがわれ砕ける破砕点のような急所、勘所

を見つけ、そこに資源と行動を集中させ、乗り越えることです。

美しい理想を語ることではありません。

その証拠に、ルメルト氏も私も、いや、たぶんあなたも、

会議室に掲げてあるが、全然実現していない、もはや何のために掲げているのか不明な残念な目標

の類いを目にしたことが、何度かあるわけです。

 

パーパスは確かに人を動機づける北極星かもしれません。でも「どう勝つか」は教えてくれません。

戦略に必要なのは、現実の困難を診断し、突破口を設計することです。

つまり、パーパス作りの会議に時間を使うなら、その時間を「何が本当に重要で、自社で解決可能な課題か」を見極めることに使えということです。

 

世間が「まずパーパスありき」と言う中で、ルメルト氏は「まず課題の診断ありき」と主張します。

戦略とは、ルメルト氏の逆張りの主張、

クラックスを特定し、資源と行動を集中させる(経営の)デザインであり、目標は出発点ではなく、クラックス解決の「結果」として定まるべきものだ

というのは、現実に照らして首肯せざるを得ないところがある考え方なのではないでしょうか。

 

でも、ルメルトは「パーパスは企業に不要」とはいっていない

しかし、特に、下記の参考文献に挙げた The CRUX を翻訳で読まれてしまった方は、その、売らんかなのパンチの利きすぎた帯に惑わされ、しばしば誤解なさっています。

ルメルト氏は、パーパスは戦略の起点/背骨にはなりえない、それをやるのは自己満足で、自殺行為だ、と剔抉しただけで、十把一からげに、

パーパスは不要(←これが帯!)

だとは、実はいっていないのです。

※いまひとつのタイトルの邦訳「戦略の要諦」(私だったら戦略上の断絶、とでも訳します)とならんで、この帯は本当にいただけません。私がおよそ翻訳書を手にしない理由の一つです。

氏は、

パーパスなんて大仰な言い方じゃなく、スローガン(法人の座右の銘)でいい、そしてそれはあってもいい

と同書の中でいっています。

(株式会社ドトール・日レスホールディングスが、自社のビジョンにあたるものを、やはり「スローガン」と呼んでいますね。)

実は、私が専門とする顧客開発ランチパッドでも、スティーブ・ブランク師匠とエリック・リース氏がそろって、この企業の行動原理の根底にあるべきものの必要性を謳っています。

スティーブ・ブランクの呼び方…mission statement(細かいことをいうと、私はブランク師匠のこの言葉の定義には、正直、賛同できない…)
エリック・リースの呼び方…vision

私は今まではこれを

と称して説明してきました。

なぜなら、ピボット/事業転換を考えるとき、企業がそれを中心にしてぐるりと回る、この「軸」だけは決してブラしてはいけないからです。

富士フィルムが、銀塩フィルムメーカーから化粧品を生み出したのも、

フィルムはコラーゲンを主成分としており、我々はその専門家だ

という確固たる軸があったからです。

この軸を念頭に置かない多角化は、必ずといっていいほど失敗しますし、一次的にうまくいったとしても、顧客に一貫性をもって美しく映りませんので、やはり長期的にはうまくいかなくなります。

何でも屋ほど、実は弱い企業体はないのです。

ほとんどの日本企業は、互いにまねし、押し合いへし合いをしている。
各社とも、ほぼあらゆる種類の製品、機能、サービスを提供しており、またあらゆる流通チャネルに対応し、どこの工場も同じようにつくられている
(マイケル・ポーター、2011年のHBR論文)

だから私は「(パーパス作成に時間をかけるべきではないが)ブレない軸だけは、しっかり定めておいてください」と進言してきたのです。

私のパーパス軽視をひっくり返した、株式会社IOBI 石井社長の熱い想い

私が多摩地域を代表する企業100選に選出いただいた後、石井社長に直接お目にかかり、聞かせていただいた中で最も印象的だった下りがあります。

それは、かつて石井社長が、後継者不足で黒字なのに会社を廃業しないといけないという問題を抱えた数万社もの企業に自分を事業承継者にしてくれと、片っ端から営業の電話をして、そのうち数十社と実際に会い、その中小企業がやりたいこと、すなわち、パーパス/ビジョンを 聞かせていただいた、というエピソードです。

石井社長は、ご自身がそうであるように、熱い思いを持っている経営者に心から共感をなさる方です。

それらの企業の社長は、いずれも決して大企業ではないながら、 めちゃくちゃ熱い思いを持っていることがわかったそうです。

しかし、それらの企業の社屋のある周辺の知り合いに聞いてみると、

近所にそんな会社があることをさっぱり知らない

という状況であることがわかったそうです。

 

石井社長はこう考えました。これは大問題だ。

せっかく力のある中小企業がそこに存在しても、 それが世の中に、世の中どころか近所の人間にすら知られていないようであれば、人材が集まらず、世界に誇れる技術を持っているのに廃業しなければならない。

逆に言えば、このような良質の中小企業を広く世間に知らしめれば、日本経済は大いに活性化されるであろう。

 

石井社長は株式会社IOBIを創業し、様々な事業に取り組む中で得てきたブランディング・Webマーケティング等の知見を地方の中小企業のために活用していくことになります。

その核となる事業が「地域を代表する企業100選」なのです。

元々、SEOに知見のある企業ですので、 私もちょっと調べてみてびっくりしたのですが、 SEO上、この「Made In Local」「地域を代表する企業100選」に関連するワードは凄まじいドメインパワーを持っています。

そしてここからが事業開発上の味噌なのですが、

そうした熱い会社を世間に訴えかける活動を通じて、今度は逆に、株式会社IOBI自身の認知度が上がり、構築された人脈のネットワークからリードが生まれる。

つまり、熱い思いだけで始めた、半ばボランティア活動のような「地域を代表する企業100選」シリーズが、回り回ってwin-winの関係を築き、自社も発展するというサイクルが成り立ったわけです。

この出会いは私に「見えない資産経営」という書籍を思い出させました。

アンダーセンを飛び出して自分たちの経営コンサルティング企業を立ち上げた、この本の著者であるバリュークリエイトの創業者三冨 正博氏らは、起業初期にいろいろなところに営業に行ったにもかかわらず、他社が引き受けないような、およそ利益が望めない案件ばかりで、結局受注できず、その結果、資金繰りがあと少しで倒産というレベルまで追い込まれます。

ここで創業者たちは一気に考え方を切り替えました。

もともと彼らは、熱い価値観を持って起業したのです。

どんどん減っていく会社の金融資金をしり目に、彼らは知り合いに会いまくり、 ひたすらその熱い思いを語る活動を繰り返しました。

そうこうしているうちに、彼らの知り合いの一人である、ひふみ投信の創業者、ふっしーこと藤野英人氏から、

あなたたちと似たようなことを言っている人がいるから、引き合わせてあげる

という紹介をもらいます。

そして紹介されたその人と意気投合し、たちまち本当に自社の価値観に即した、初めての「熱い」お客様が生まれました。

その結果、もともとバリュークリエイト社が具備していた「見えない資産」が威力を発揮し、みるみるバリュークリエイトの経営は軌道に乗ったのです。

両者に共通する、私を驚かせた点とは

熱い思いそのものだけが、それそのまま戦略になっている

という点です。

 

30年は失われてなどいない(by ウリケ・シェーデ)

ここからは、弊社のパーパスについて議論させてください。

先日、日本でアントレプレナーシップを教えているある有名な方のセミナーに参加したときのことです。

その方の論調はこんな感じでした:

日本経済は1995年から30年間、GDPが伸びていない、これが『失われた30年』だ。そしてなぜこの30年が失われたかというと、この年にWindows95がその名の通りリリースされた通り、IT技術を軸とした、アントレプレナーたちが生み出したソフトウェアの発達で、日本が遅れをとったからだ

既存企業の中でベテランとして活躍なさっている年代のあなたにとっては、この手の

日本ダメダメ論

は耳タコなはずです。

実際つい先日も、NewsPicksに、「日本経済は、もう25年以上アクセルが踏まれていない」というお題で、企業による貯蓄が多すぎる、という議論がなされていました。

ところが、こんな「日本経済ダメダメ論」に待ったをかける、雄壮な議論がなんと海外から現れました。

ドイツの日本経済研究家、流暢な、ちょっと可愛い日本語を操るウリケ・シェーデ教授です。

彼女の著書から「言われてみればそうだ」とぐうの音も出なくなる一節を引用します。

しかし、30年間もこうした悲惨な状況が続いてきたとしたら、なぜ日本はいまだに世界屈指の経済大国なのか。すでに述べたように2023年時点で、日本は人口規模では12位、国土の広さは62位にすぎず、「失われた」30年も経験してきた。それでも日本は世界第3位の経済大国だ(引用者注:ウリケ女史はドイツに抜かされたのは為替の影響が大きいとも指摘)。
しかも、GDPは日本の活動全体を捉えたものではない。日本の多くの製造業の企業は、また最近では銀行や保険などサービス業の企業も海外拠点を持っているからだ。過去30年間で、欧米や東南アジアへのFDI(海外直接投資)を着実に拡大してきた

参考文献(1)、太字、改行挿入は引用者)

彼女の議論は:

  • GDPだけを経済活動の指標として経済活動を云々するのは、アメリカ流の、ある意味、短絡的な考え方だ。
  • 30年は「失われて」などいない。単に変化の速度が遅いだけだ。
  • しかもその速度は、リーダーたちが日本の文化に意図的に合わせ、チューニングしたスピードだ。
  • 日本の製造業には、なぜかメディアのメイントレンドにスルーされている超優秀な製造業がたくさんあり、どんな国に住んでいても、「ジャパンインサイド」の製品を一切使用せずに1日を過ごすことなど、今はほぼ不可能。
  • この30年で、日立を始めとして、優秀な日本企業は、何でもかんでも幕の内弁当的に製造販売しているビジョンなきコングロマリット※から、選択と集中を繰り返し、自らを「技のデパート化」することで、集合ニッチ戦略を進めてきた。
  • だからこそ、ニッチのナンバーワンを多く日本企業が寡占し、そこから莫大な収益を上げる状況をつくることができている。

※ポーター教授が、かつて上掲の言葉で皮肉った状態。

というものです。

ハーバード大学グロースラボの『経済複雑性ランキング』を見ると、日本は過去 30年にわたって世界第1位だ。これは世界各国の『生産的知識』をランキングにしたもので、2つの指標に基づいている。1つ目は、その国の輸出品の多様性と複雑性だ。2つ目が製品の『偏在性』──どれだけ多くの国でその製品をつくれるかだ。シャツのように単純な製品は複雑性が低く、多くの国で生産される。それに対して、高度な機械や素材は非常に複雑であり、つくれる国はごく少数だ

(参考文献、一部略、太字は引用者)

だから、とウリケ女史は声高に指摘します。

日本経済悲観論ばかり注目すべきではない、そんな自虐的な考え方にはさしたるメリットがない、と。

 

某大手化成メーカーの研究室長だった兄の話

ウリケ・シェーデ教授のこの痛快な指摘は、まさにこの失われた30年を、ある有名な大企業の化成・機械メーカーの研究室一本やりでキャリアの最初から最後まで走り切った兄のことを想起させました。

兄は、サッカーをはじめスポーツ万能、話も面白く、国立の大学院まで進んで化学を修め、大学院を抜群の成績で卒業して、ある有名な化成メーカーに新卒で入社することになりました。

入社面接の際、兄には絶対の自信があったようです。

面接官「きみ、最初はある地方の支部で働いてくれんかね?」
大学院卒業を控えた兄「いやです(キッパリ)。学生結婚して横須賀に住む予定なので」

これで兄は採用されてしまいました……

兄はR&D部門に入り、ここで活躍しました。

兄はよく「主任時代が一番面白かった、マネージャーは僕には合わん」と呟いていました。

毎日研究に没頭し、腹減ったなあ、と気がつくと、すでに夜の9時を回っている生活。

あるとき、「僕の目、いま研究しているエキシマレーザで穴が開いちゃったかもしれないと、冗談だか本当だかわからないことを言って、私をびっくりさせました。

昇格試験のときは、遅くまで働いて帰宅、さらに深夜まで論文を書いて、2、3時間の睡眠で車に飛び乗り出勤、朝食は、ハンドルを握りながら眠気覚ましのパンをかじり、

という過酷な生活を数ヶ月続け、結局1番の成績で昇格試験に合格しました。

お分かりの通り、兄のキャラで一番特徴的なのはその火の玉のような負けん気。

なくなった母によると、小学生の時「一番、一番、一番!」と提出物を先生に走って届けたら、「一番じゃなくてもいいので教室の中を走らない!」と怒られたこともあったとか。

常に小さい頃から私のヒーローでした。

そんな兄がある時、私のところやってきてこんなことを言いました。

功、知ってるか?僕が研究開発した技術は、1度も製品として世の中に出たことがないんだぞ

いま思えばこれは自慢だったのか、冗談だったのか、はたまた愚痴だったのか、私にはわかりません。

そのときは私は苦笑して聞き流したのですが、弊社を起業して、AIディアソンを立ち上げたさい、

これは非常に嘆かわしいことではないか、と思い当たりました。

 

私の専門は顧客開発(リーンスタートアップ)です。

顧客開発では、Yコンビネーターも主張している通り、

SISP/Solution In Search of a Problem(問題をウロウロ探しに行く解決策)

といって、最初からネタがあって、そのネタにはまるようなお客様の問題を探しに行くことはご法度とされています。

しかし考えてください。

カーボンナノチューブも光触媒もブルーレーザーも、はたまた、日本の製糸業だけが生まずたゆまず追いかけているカーボンナノファイバーも、最初から、このような

すでに判明している、強い需要(ユースケース)があるからこのモノを作りました!

という、顧客開発の逆立ち視点から、研究開発が始まったわけではないはずです。

 

あくまで、例えば光触媒なら、「光のエネルギーだけで環境浄化ができるかもしれない、これすごい!」という、壮大で情熱的だが、ある意味抽象度の高すぎる夢から出発しています。

そういった、コツコツ10年20年も研究開発を積み重ねないと実らないような技術が顧客開発のやり方に合わないからといって、それがくだらないことかといえば、それはとんでもない間違いで、このコツコツとした研究がなければ、シェーデ教授の指摘する、日本の今の製造業の成功はありえないといって過言ではないわけです。

シーズ先行で、後から使われ方を考えるというこのやり方は、実は製造業にとってはなくてはならない考え方なのです。

そこに矛盾が生じるなら、その矛盾を解消するのは、研究者のミッションではなく、われわれ事業開発のプロがどうにかすべきことです。

ですから、私はこの考え方を、AIディアソンを製品化するときに、その製品ビジョンとすることを決めたのです。

すなわち、現在は弊社のパーパスまで昇華されたそれは、

製造業の研究成果を、世界の顧客価値へ

これは、兄のような研究者を救いたいという、やむにやまれぬ情動から生まれたものでした。

参考文献

Richard P. Rumelt, “The Crux: How Leaders Become Strategists”, PublicAffairs刊

三冨正博 著, 「見えない資産」経営, 東方通信社刊

ウリケ・シェーデ 著, 「シン・日本の経営――悲観バイアスを排す」, 日本経済新聞出版(日経BP)刊

Ulrike Schaede, “The Business Reinvention of Japan”, Stanford University Press刊

 

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